【67-Ⅲ】宮崎課程修了
おはこんばんちは。
67-Ⅲです。
私たちは10月に宮崎フライト課程を終え、今は仙台にいます。
宮崎修了のブログ書けとのことなので、振り返りたくもない宮崎課程を簡単に振り返りたいと思います。
振り返れば私たちの宮崎フライト課程の始まりは悲しい別れからのスタートでした。
それでも、残された私たちはここに来れなかった仲間の分まで頑張るしか無いと皆で切り替え、それぞれ己と向き合い続けた宮崎課程でした。

宮崎課程の92時間はとても長く、終わりの無い課程の様に感じました。最終審査の講評で合格と言われたその瞬間まで、宮崎課程を終えている自分を想像できていませんでした。
フライトでは毎日出来ないことが沢山出てきて、時には出来ていたことも出来なくなり、宮崎フライト課程は試行錯誤の連続でした。
飛ばないと卒業出来ないのは分かっているのですが、飛びたくないメンタルが先行し過ぎてました。
前日の夜のエリア会議では、キャンセルを願ってやまない人達は、TAFとwindyを見て「明日キャンセルだよね!?」とキャンセルにできそうな理由を探していました。
全く準備せずに次の日を迎え全然行ける天気の中を苦し紛れのブリーフィングでなんとかキャンセルを勝ち取る班、ギリギリVMCの中無理矢理行かされる班、LINE一本でキャンセルになる班など様々でした。

そんな宮崎課程も、楽しいことも少しばかりありました。
2生地ソロは中々天気に恵まれず、激しぶウェザーの中、地を這って帰ってきた者多数でしたが、同期と追いかけっこしながら長崎、鹿児島を1人で飛べたことはいい思い出です。
540キロ航法は四国や中国地方の空港など普段行けない空港にみんな行けて楽しそうでしたが、僕はこれまた激しぶウェザーで熊本と福江空港に行き、福江空港では滑走路が見つからずunintentionally forced landing をしかけて苦い思い出が残っています。

そんなこんなで技量は全然上がっていることを実感せずに時間を消費し最終審査がやってきました。
審査の期間は、「お前ら下手くそだしこれくらい天気良くないと受からんやろ」と空から同期が見守ってくれてるが如く、とんでもなく天気がいい日が続いてました。
夏の積乱雲で雲よけばっかりしてきましたが、審査の時は雲ひとつない日もありました。
1番最初の受審者がリチェックになるという、とんでもなく幸先の悪いスタートでしたが、回期としては1ヶ月以内に全員終わり、宮崎課程を修了することができました。

振り返っても大変だった宮崎課程を乗り越えられたのは、同期、教官、航大に関わる全ての皆さんのおかげです。
なんか嫌な記憶が次々と蘇ってきてるのでここら辺で失礼します。
仙台でもみんなで航大&無職を卒業できる様に頑張ります。

67-Ⅲ一同